読むのが遅いから読まないなんて、言わないで欲しい。
次の2つの文章を読み比べてみましょう。まずは、こちらから。
大切なのは、その本を読んだ結果として、知識や発見のひとかけらが頭の中に残ること。ほんの断片でもいいのです。なにか印象的なことが1つでも残ったなら、その読書は成功したと考えるべきです。「全部残さず取り込んでやろう」と欲張らない。(途中略)
1冊を深く読むのではなく、たくさんの本から「小さなかけら」を集めて、「大きなかたまり」をつくっていく。(途中略)小さなかけらが集まってくると、それらは次第につながっていき、より大きな知識として成長していきます。イメージとしては、組み立てブロックの「レゴ」でなにか大きなものをつくる感覚です。
そして、こちらを。
ハイデガーが森に隠棲して推敲を重ねて書いた本だからといって、電車の中で拾い読みして悪いことはない。マルクスの『資本論』なんて、どう見ても寝っころがって読むようにできてる、しかも、そうやって拾い読みすると実に面白いんだな、これが。
むろん、そんな風だと、一字一句を味読し心に刻むなんてことにはならない。自分なりにパッとつかまえたものをチャート化して理解するわけ。(途中略)本ってのも結局は道具箱として自由に使うために読むものなんだと思う。
そういうチャートをカードにしちゃうって言ったけど、(略)それをトランプのカードのように軽やかに扱ってみること。何もかもゴチャマゼにシャッフルした上で、そこから新たにスゴイ組み合わせが出てくる可能性に賭けること。
前者は2016年2月に発売された『遅読家のための読書術』(印南敦史・著、ダイヤモンド社)。そして、後者は『日本読書新聞』1983年6月20日号に掲載された浅田彰さんのエッセイです(タイトルは「ツマミ食い読書術」、『逃走論』ちくま文庫に収録)。
本は最初から最後まで読み通すもの、とマジメに考えている人ほど、なかなか読み進められなくて、結果、本から距離を置いてしまいがち。読みたいけど、読み進められるだけの時間がない。本は好きだけど読まない、とあきらめてしまっているのだとしたら、もったいない!というわけで、本や読書に向き合う考え方、スタンスを、そもそものところから変えてみよう、というのが今回引用した2つの文章です。
浅田さんの文章はごく短いエッセイですが、印南さんの本は単行本1冊まるごと、「遅読家」のための読書指南が丁寧に記されています。読書の目的は人それぞれ、でも、目的にあった自分なりの読書の仕方を見つけるためにも、こうした読書術は一読してみる価値があると思います。
遅読家というのは、読書に対する「真面目さ」を捨てきれない人のことです。(途中略)
なにかのきっかけでその呪縛が外れた人(または最初から外れている人)は、もっと不真面目に、自分の都合のいいように本を読んでいます。
一方、熟読の呪縛にとらわれている人は、まるで教師の解説や板書を逐一ノートに書き写す生徒のように、本の内容をせっせと頭にコピーしようとしている。
だけど、その努力って報われるのでしょうか?
読書について、重たく考えすぎじゃないでしょうか?
(42-43ページ)
遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣
- 作者: 印南敦史
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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