テーマを持って生きること、あるいは、個性について。
人生30年以上も生きてくると、
ああ、もう自分は自分でしかいられないよなあ、と
どこか諦めにも似た感想を抱いてしまうことがある。
小さい頃には、
こんなこともできる、あんなこともやれる、なんて、
人生は無限の可能性に満ちているのだ、なんて、思ってた。
それがいつの間に、
「自分は、もうこうとしか生きられないよなあ」
ということになってしまったのだろうか。
でも、まあ、それはいいのです。
諦め、という言葉は、
とても否定的なイメージを持って響くけれど、
ぼくは自分がいま書いた「諦め」という言葉を、
それほどマイナスなものだと意識して書いたわけではない。
ぼくは、これまで、こうとしか生きてこれなかった、
でも、それがぼくの人生なんだから仕方がない。
そしてそれは別段、悪くないと思っている。
それは今が満ち足りているから、とか、そういうことではない。
不満なんて、あげたらキリがないのだし、
人生、みんながみんな、テレビやニュースで見るような人たちのように
華々しく活躍してなんていうふうには生きられないのだから。
で、話は、テーマを持って生きよう、ということである。
こうとしか生きられなかったなあ、という気持ちの延長線上に、
そんな自分だからこそ、
どうしようもなく気になって仕方がなかったり、
なぜか分からないけど好きで、もっとこだわって
掘り下げてみたくなることがあったりする。
それは、個性なんだと思う。
こうとしか生きられなかった末に獲得した、個性。
だから、そういうものをもっと堂々と大切に、
テーマとして掲げて、生きてみようと思うんだ。
ぱっとしない人生かもしれないけど、
ぼくにはぼくだけの「一回きりの人生」しか与えられていない。
幸か不幸か、それはみんなに等しく一緒の条件だ。
掲げるテーマの内容に優劣はないし、
その掘り下げの度合にも、優劣なんて関係ない。
自分が気になるテーマを掘り下げて、
それを記録し、また掘り下げて、時には
考察を加え、さらなる深みにはまっていく。
そんなテーマがいくつかあると、個性はもっと
個性的なものになるんだろうな。