おかしみ日記

おかしみは、スパイス。

糸井さんのダーリンコラムより

●糸井さんのコラムを読んだら、とにかくとっておきたくなってしまいました。短いのですが、何度も読んでしまう文章だなあ。

<がんばりようがある、ということ。>

メモとして書いてあったことなのだけれど、
これを、ふくらませても、加工しても、
どうもうまくいかないので、
そのまま、ここに貼りつけておこうと思いました。

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たぶん、「がんばりようがある」とわかれば、
みんな、なんとか、がんばっちゃうんだと思う。

「がんばりようがない」というときが、
いちばん、じつは、くるしいわけで。

なんだかわからないけど、
とにかくこれをやっていればいい、
ということを知っている人は、いいなぁ。

「がんばりようがある」場をつくる。
「がんばりようがある」時間をつくる。
それが思いつかなかったら、
こどものようにあそんで、
とにかくじょうぶでいよう。

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なんとなく、いまの日本にただよっている
「重苦しさ」って、
誰かに、どうすればいいのかと
教えてもらえないような気がするんですよね。
そういう時代だよなぁ、と考えながら、
上のようなメモを書いたおぼえがあります。

●最後の3行が「すごい」と思います。思いつかなかったら、じょうぶでいよう、だなんて。必死で見つけよう、とか言ってしまいそうですけど、「じょうぶでいよう」と。仮に、がんばるための目的が見つからないとしても、焦ることなく、じょうぶでいようと思うこと。それだけでも、十分意味があるんじゃないかと言っているように思えます。自分も含めて焦ってる人が多いように思えるからこそ、じょうぶでいよう、とある種「開き直る」ような感覚とか気持ちの余裕とかを持ちたいものだと思いましたが、いかがでしょうか。